江戸幕府の国際インテリジェンス

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▲長崎の出島

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明治政府は、敵だった江戸幕府をことさらに貶めるために、江戸幕府の後進性を宣伝しました

これが庶民の常識になって、今でも時代劇などでは、その間違った常識の上で作られたりしています

(^_^;)

 

江戸幕府は長崎の出島を通じて、国際情勢や西洋の武器、技術などの情報を吸収していた。

江戸幕府は、オランダに特権的に出島を提供する代わりに、オランダ東インド会社が獲得した高度な国際情報を、出島駐在オランダ人責任者に報告書形式で整理させ、毎年江戸を訪問して江戸幕府にブリーフィングさせていた。

このようなブリーフィングは、1857年(明治元年の12年前)まで、合計166回

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1853年7月、米国ペリー艦隊(黒船)出現に幕府が大きな衝撃を受けたという話は事実ではない。

幕府は既に、オランダ東インド会社を通じて、米国ペリー艦隊の動向を詳細に把握しており、日本に到着する時期まで正確に把握していた。

中国(清朝)が英国とのアヘン戦争に敗れ、窮地に陥っていたことも知っていた。

何も知らない江戸の町人は、黒船に驚いたかもしれないが、幕府首脳は

「ついに来たか」

くらいに感じていた。

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だから幕府が驚いたのは、ペリー艦隊(黒船)の出現自体ではない。

ペリー艦隊の攻撃に備えて、幕府は火砲などの武器を準備して待っていたのだが、実際のペリー艦隊の武装水準(大砲の性能など)を目で見て確認した結果、予想よりもはるかに強力だった。

だから幕府は驚いた。

百聞は一見に如かず。

 

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