モルドバ旅日記

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モルドバ共和国の人口は約270万人で、首都はキシナウ

第二次大戦中の1940年に、ソビエト連邦の構成国になる

1991年、旧ソ連から独立を宣言

いわゆる「東側の国」で、ソ連時代の50年間、世界の進歩から取り残された

ヨーロッパ最貧国の一つ、弱小国の悲哀が感じられます

今回のプーチンによるウクライナ侵略で地図を見て、モルドバという国があることを初めて知りました

以下、宮崎正弘さんの旅日記

 (^_^;)

 

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モルドバ共和国の首都キシナウ空港に降り立った。

朝日に輝く光景のなか、管制塔のほか高い建物がなく、まるで片田舎の小さな飛行場。

日本の米子鬼太郎空港や小松空港よりこじんまりとしている。

通関してロビーに出ても、両替所もない(これって国際空港か?)

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予約していたコスモスホテル(→)へタクシーで向かうが、道路は埃っぽく、街路樹が排ガスや土埃をかぶって黄色く汚れている。

鉄道駅前は古着や、何に使うのか不明の金具、部品などをこまごまと並べた露店がいくつも店開きしている。

ショッピングセンターの入った近代的ビルの斜め前、二十二階建てのコスモスホテルは、規模とは裏腹に旅客が少なく、照明も薄暗い。

しかもこのホテルでも両替はできず、ボーイが隣のビルの両替所まで案内してくれた。

待たせていたタクシーに現地通貨(ルーマニアと同じくレイ)で運賃1500円を支払った。

すぐさまシャワーで旅の埃を落として着替えをして、ようやくさっぱりと落ち着いた。

成田からイスタンブール空港で乗り換えた。十八時間の長旅だ。

キシナウの街並みはソ連時代の計画経済の名残か、碁盤の目のように縦横はきっちりしている。

しかし建物はと言えば旧式のいかめしいビルがあるかと思うと、隣は瀟洒なガラス張りのレストラン、とても計画的には見えない。

カジノが至る所にあって、二十四時間スーパー、怪しげなストリップ劇場、入れ墨専門店が軒を並べ、寒い国にこそ需要がありそうなマッサージの店は少なく、目抜き通りには女性向けの美容室も見かけない。

異常な環境である。

物価が安いので欧米からの観光客は結構多い。

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そうした人々と行きかうのだが、中国人、韓国人には滅多に出会わない。

日本人とは全く会わない。

それなのにあちこちに寿司バアがある。

世界的に健康食として寿司が静かなブームになっている。

一日目の夕食としてグルジア料理でもと目抜き通りから一歩奥まった、中庭が緑に囲まれている店を選んだ。

屋外の席に陣取ったが、隣では着飾った男女が騒々しいパーティ。

何かと思えば一歳の子供の誕生日を祝う若夫婦が、友人たちを招待した一団だった。

ロシアの新興財閥のような、結構豊かな階層がモルドバにも出現している。

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ほかにビジネス客、常連客とアメリカ人の老夫婦らもめずらしいものを見るような目でこのパーティを眺めていた。

国営企業民営化のどさくさに紛れて旧共産党幹部の汚職が絶えない。

加えて、こうした所得格差も社会的憤懣となってくすぶっているのだろう。

 

 

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▲モルドバの首都キシナウ ワイン祭りの会場

凱旋門の中心に大統領府、市庁舎、議会前にはテント村が出現している。

泊まり込みでハンガーストライキを続けるグループをよく見かけた。

同じ場所で憩う市民もいる。

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キシナウ市内で一番大きな公園は初代国王シュテファン大公を記念するもので、そういえばモルドバ通貨(→)のデザインはすべてこの国王の肖像をあしらっている。

キシナウの目抜き通りの名称もシュテファン・チェル・マレ通りだ。

国会ビルを取り囲む緑豊かな公園の、日陰のベンチにはのんびりと憩う老人たち、テキストをひろげる学生に混ざってカップルが肩を寄せ合っている。

その横をスケボーの少年らが勢いよく走り抜け、近くのアイスクリーム屋に殺到していた。

こんな光景を眺めていて、戦争の傷跡がほとんど見当たらないことに気が付いた。

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中古市、骨董市などを覗くと旧ソ連時代のバッジ、軍帽、ブレジネフのバッジまで売っている。

そのとなりの店にはドナルド・トランプのマトリョーシカ(→)が客待ち顔で鎮座する。

モルドバはEU加盟を政治目標にしている。

ところがこれを不快とするロシアから、モルドバ産ワインの輸入禁止などの嫌がらせを受け、ガスパイプラインを止めると脅されたりするので、なかなか前進させることができないのである。

「モルドバ語」と表記される言語も実態はルーマニア語。

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国旗はと言えば中央にオーロックス(牛の原種)が描かれてはいるが、ルーマニアそっくりの青・黄・赤の三色旗。

ロシア語族は沿ドニエステルを中心に11%程度。

モルドバは価値紊乱の真っただ中、文化の多様化という混乱の様相を見せていた。

モルドバ国民の悲願は将来のルーマニアとの合邦にあるが、ロシアは絶対反対である。

モルドバの西側はルーマニア人の居住する農業地帯で、モルドバワインは世界的に有名、多くのモルドバ国民はルーマニアへの復帰を望み、言語もルーマニア語を話す。

モルドバはながらくルーマニアと一緒で元の地名は「ベッサラビア」。

2018年にはベッサラビア誕生百周年の記念行事も予定されている。

世界大戦でベッサラビア地方は、ソ連によりルーマニアから強制分割され、モルドバはソ連圏に編入された。

まさにその東西冷戦の残滓がまだ居残り、微妙なバランスの中、政治的な綱渡りを演じているのがモルドバ共和国だ。

親西側を鮮明にはしつつも、もう一歩踏み切れないもどかしさ、すぐ東がウクライナだからだ。

モルドバの安定はウクライナ情勢の帰結に深く連動しており、EUが全面支援には踏み切れない理由付けにもなっている。

プーチンは沿ドニステルの武装勢力と、ルーマニア国内のプロ・ロシア政党、ならびにモルドバ国内のロシア工作員を通じて一連の地下工作を展開するからだ。

しかしモルドバは経済的に行く詰まり、繁栄にはほど遠く、かつ国内政治はプロ・ロシアの政党がまた力をもっており、国民の意識調査では西側への傾斜があきらかではあっても、法体系と治安制度から、多数派には達しない。

そのうえロシアのクリミア併合とウクライナの混乱を目撃すれば、急激な政治的路線変更はロシアの介入をまねくことを極度に警戒しているからだ。

「宮崎正弘の国際情勢解題」令和四年(2022)2/28号

 

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