日露戦争に負けていたら日本族(ロシア少数民族) 極寒のシベリアで餓死と虐殺の地獄 ウクライナでは最前線で虫けらのように死ぬ

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天下泰平の江戸時代が終わると、幕末から西南戦争(1877年)までは国内騒乱の時代

しかし当時のロシア帝国がシベリア鉄道を起工(1891年)して、東アジアへの露骨な侵略を始めてきたので、日露戦争に勝利(1904年、→)するまで、日本は全力で対ロシア防衛のための戦時体制をとらざるを得ませんでした

ロシアの露骨な侵略体質は、昔も今もまったく変わっていません

日露戦争で日本が負けていれば、当時ロシアによる侵略戦争で負けた民族の多くがそうであったように、日本民族もすべて、シベリア奥地へ強制移住となっていたはずです

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春の桜や秋の紅葉など美しい日本の国土と永遠のお別れです

餓死と虐殺のシベリア極寒地獄に投げ込まれていたはずです

冬は零下数十度になり草も生えず、食糧難で餓死しても放置、モスクワのロシア中央政府に逆らったら大虐殺です

敗戦国の国民を徹底的に地獄に突き落とすという、ロシアの残忍な体質は、昔も今もまったく変わっていません

そうなれば、日本人の人口は日露戦争当時の5000万人から、餓死と虐殺で1000万人以下にまで激減し、生き残ったわずかな日本人は

「シベリア辺境に住むロシア少数民族の日本族

となっていたことでしょう

そして現在、その「ロシア少数民族の日本族」の若者たちが、強制的にウクライナの最前線へ送られて、ミサイルや砲弾で肉体を粉々に吹き飛ばされて、毎日何百人も、虫けらのように死んでいたことでしょう

当時の日本人の必死の防衛努力のおかげで、日本は日露戦争に勝つことが出来、日本列島に住み続けることが出来ました

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そして当時の世界で大国としての地位を得ました

現在の国際連合の前身である国際連盟で、日本は常任理事国でした

国内では大正ロマンと呼ばれる文化の華が咲き、幕末以来続いていた騒乱と戦争に休止符を打って、つかのまの平和な時代を迎えました

そんな古き良き時代の大正ロマンを代表するアーティストが、竹久夢二です

ですが、そんな幸せな大正ロマンの時代は長く続かず、世界大恐慌とともに昭和の暗黒の時代へと突入していきます

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大正ロマンを代表する画家、竹久夢二(1884〜1934)の作品を紹介する企画展

 「龍星閣がつないだ夢二の心

 『出版屋』から生まれた夢二ブームの原点」

が千代田区日比谷公園の区立日比谷図書文化館(旧日比谷図書館、←で始まった(1/7~2/28)。

都新聞(東京新聞の前身)で1927年に連載された自伝的小説の挿絵原画をはじめ、竹久夢二のデビュー当時から晩年までをたどる内容だ。

展示しているのは、昭和40年代から夢二の作品を収集してきた出版社「龍星閣が2015年に千代田区へ寄贈した全1200点の資料の1部。

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千代田区が22年度、616点を指定文化財にしたことを記念した企画で、約190点をお披露目する。

都新聞は、竹久夢二が亡くなる7年前の40代前半のころ、半生をまとめたような小説を連載した。

そこに添えられた134点の挿絵原画を収めた作品が「出帆」で、うち10点を展示した。

女性画のイメージが強い竹久夢二だが、家族と別荘で過ごす日常などが水墨で描かれ、学芸員の平町允さんは「多様な表現を見られる貴重な作品」と言う。

また、竹久夢二が早稲田実業学校在学中の1903年に制作した画文集「揺籃ようらん」は複数の物語や詩に4つの挿絵が含まれ、文章を推敲すいこうした跡を確認できる。

入場無料

前期は1月29日まで。展示内容を入れ替える後期は1月30日から2月28日まで

1月16日と2月20日は休館。

 

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